History


始まり
数年前、慶應義塾大学体育会ソッカー部超OBの親睦チーム「KBF」の総会にて「女子サッカー部作り」が可決された。その頃、SFC(湘南藤沢キャンパス)のとあるサッカーサークルにおいて数人の女子メンバーが女子チームとして活動しようと頑張っていた。 そして、ある日、KBFの方とSFC生が出会い、年に数回設定されたKBFとの試合に女子メンバー達が集まることになった。しかしその当時その女子チームに殆どメンバーはおらず、それらの試合にも慶應大学の女子メンバーは1、2人しか参加していなかった。そんな時期が一年ほど続いた。「女子チーム」としての活動は実質的には何もなかった。

1998年度
チーム作りが本格的に開始された。しかし、人はいない、練習場所もない。勧誘の手段も知らない。本当に右も左も分からない状態でのスタートだった。夏にはKBFの方の紹介でつくばフェスティバルに強引に参加させていただいた。この年慶應からの参加者は7人(しかもその内3人は高校生)。和歌山大学のサッカー部との合同チームでの参加だった。統一されたユニフォームもなく、ビブを着ての試合だった。前期は練習なんてしていなかった。それどころかサッカー協会へのチーム登録すらしていなかった。 KBFの方々のご支援でユニフォームだけ15着もあったが、着る人間はいなかった。この年12月頃関東大学生女子サッカー連盟に仮加入した。年も暮れに近づく頃、翌年3月の東京都女子サッカー大会参加に向けて細々と練習を開始。練習場所は主に河川敷か工場の間にあるグランドだった。窓ガラスの割れた廃車が捨ててあり、シンナーのような臭いが立ち込めていた。練習参加者は5,6人だった。必ず遅刻者やドタキャンがでた。時間通りに来る人間の方が少なかった。東京都女子サッカー大会は予選リーグ三試合で散った。ツテを総動員してかき集めたメンバーで、試合のときに自己紹介をしているような状態だった。でも11人でサッカーができた。幸せだった。そして、チームができる前の段階を支えていた先輩方が卒業されていった。「メンバー」は三人減った。

1999年度
この年、「チーム」ができたと言えるだろう。新入部員6名?。関東大学生女子サッカー連盟にも正式に加入した。前期は週一、二回多摩川河川敷等で練習。参加人数は平均(というかいつも)3人だった。ボレーとロングキックをひたすらやっていたような気がする。授業の関係で夕方だった。多摩川には誰もいなかった。夕日がまぶしかった。夏には前年同様つくばフェスティバルに参加した。この年は単独チームでの参加だった。しかしこれはかなりの賭けだった。案の定、参加予定者のドタキャンが相次ぎ、結局大会中殆どの試合を7人で戦う羽目になった。それでも2勝2敗1分けだった。キーパーは適当にまわしていた。戦術も何もなかった。後期、関東大学女子サッカーリーグに参加した。これは本当に強引だった。当時の幹部の方々や同じ2部リーグの方々には本当に多大なるご迷惑をおかけした。それでも暖かく(?)受け止めてくれていた皆さんに心から感謝したい。あの時追い出されていたら今のチームはない。これもまた殆どの試合を7人で戦った。1試合だけ奇跡的に11人集まったことがあった。そのときは感動した。でも人が多すぎて逆にやりづらかった。結果は全敗。人が集まらなくて棄権した試合もあった。リーグ戦を戦っているという事実とリーグ戦のための選手を集めなければならないという忙しさで後期は練習をしなかった。試合とその前のアップが唯一の練習時間だった。

2000年度
新入部員11名(しかもかなりレベル高!)。試行錯誤を重ねながらもなんとか定期的に練習を行えるようになり、試合も殆どの試合を11人以上で戦えるようになった。この年にこれだけの新入部員が入ってくれたことがチームにとっては本当に幸せなことだった。自信をつけ、4月に慶應大学に公認団体登録申請を行った。6月の面接等を経て、公認団体として認められた。顧問は経済学部の杉浦章介教授にお願いした。6月頃全日本サッカー選手権の神奈川県予選に出場した。一回戦で敗退した。夏には尾瀬レディースカップに参加、1勝もあげられず、1点も入れられず。戦術上の疑問点を一つ一つ全員で考えて解いていって、少しずつチームがサッカーを理解し始めた。そして9月から始まった関東大学女子サッカーリーグにおいては7チーム中4位に食い込んだ。このリーグ戦の途中からチームメンバーの紹介でブラジル帰りのコーチがチームのサッカーをみてくれることになった。そして2月には御殿場の大会合宿に参加した。雪の降る中4試合行った。春休み中も練習試合を重ねた。チームのサッカーが段々でき始めてきた。

2001年度
新入部員6名。週三回各二時間練習を行い、5月から積極的に練習試合を重ねていった。1、2年生が中心の若いチームなだけに経験を積むことが急務であった。本年度から東京都リーグに加盟。夏には尾瀬レディースカップに参加、2勝をあげる。チーム初の強化合宿も行い、関東大学女子サッカーリーグにおいては入れ替え戦出場をめざして奮闘中。

2002年度
2002年度には何が起こったのか調査中です。

2003年度
新入部員6名。全員初心者。週三回各二時間練習を行い、4月から練習試合や公式戦を重ねていった。3、4年生が中心となって新入部員を指導。コーチや部員の友人らも熱心に指導しに来てくれる。関東大学女子サッカーリーグにおいて、1部昇格を目指して練習を重ねていたが、2部3位という結果に終わり、1部との入れ替え戦には行けなかった。

2004年度
新入部員7人。経験者と初心者を含む。しかし、途中で退部者が数人出た。昨年と同じようにコーチや部員の友人らも熱心に指導しに来てくれた。関東大学女子サッカーリーグにおいて、1部昇格を目指して練習を重ね、2部2位となり、1部(筑波大学)との入れ替え戦を行った。しかし、7対0という大差で負けてしまった。力の差が大きかった。東京都リーグでは、リーグ戦に順調に勝ち進み、決勝リーグまで行くことができた。そして、決勝リーグで優勝し、来年から3部でプレーすることとなった。

2005年度
新入部員6人。経験者と初心者、2年生も含む。今年からは選手の兄とその友人がコーチとして就き、更に練習に力が入った。また、大学リーグ1部昇格を目指して、格上のチームとの練習試合を数多くこなした。関東大学女子サッカーリーグでは、チーム創設以来初の2部優勝を飾った。そして、入れ替え戦に出場することができたが、学芸大学に6対0という大差でまたもや負けてしまった。東京都リーグは3部5位という結果に終わった。

2006年度
新体制の始まり